ブログを書きはじめたきっかけ

ブログを書き始めたのは、去年(2016年)の終わりごろだった。それまで僕はTwitterをやっていたのだが、140文字という制限、それにフォロー・フォロワーの関係にうんざりしていた。僕は、他の誰にも干渉されない場所を探していた。最初は自らホームページを立ち上げようと思ったが、HTMLの知識が乏しく、難しかった。それに今の時代にホームページなんて、あまりにも時代錯誤だということも理由の一つだった。なので、既存のWebサービスを使うしかない。匿名性が欲しいので、Facebookは論外。Amebaは性に合わないし、FC2やライブドアはアダルトやまとめサイトのイメージがあったのでやめた。Wixあたりのホームページ系は魅力的だったが、個人的に気に食わなかった(折角ホームページを作るのなら、一から作ってみたかったので...)。当時の僕は、割とメンヘラ、発達障害系のブログを読んでいた。その手のブログがはてなブログに集中していたことから、僕は安易な気持ちではてなブログを選んだ。

第一次はてな時代
最初の方は音楽ブログとしてやっていこうと思っていた。アルバムをレビューして、記事を書く。そういったことに憧れていた。ポピュラー音楽を哲学や宗教、更にはSF、サブカル、その他諸々と関連付けて語ることは、今振り返れば非常に胡散臭いことなのだが、その時はそんなことばかりに惹かれていたのだ。今でもそうかもしれない。
その計画はとても早くに頓挫した。アルバムを体系的に聴き、批評することは結構骨の折れる事だった。もう一つ問題があった。過去の僕は、”マイナー”なアルバムを”日本語”でレビューすることに拘っていた。つまりはディガーになりたかったということだ。そのため、ビートルズやクイーンのレビューはできなかった。売れた作品は十分に批評されつくしている。1000レビューあるところに1レビューしたって、1001にしかならない。そんなものに何の意味があるというのか?拘泥は深く長く、マイナーな音楽ばかりを聴くようになった。再生数の少なさこそ正義だった。だが当たりの曲は少なかった。いい曲を聴くためには、数を聴かねばならない。精神が疲労していくのは自明だろう。

Tumblr時代
そのやりかたを諦めた僕は、日記を書くことにした。はてなブログから離れ、違うところで筆(実際はキーボードなのだが)を執ろうと考えた。自身の精神世界を、できるだけおしゃれなところで書きたい。僕は洋楽かぶれだし、基本的にヨーロッパが大好きだ。彼らと同じところで暮せば何か見つかるのかもしれない...とも思った(ネットの世界の方がリアルだし、ある界隈に属するということは、ある街に実際に住んでいる感覚になる)。そして行き当たったのがTumblrだ。ここで僕は写真家になろうとした。メランコリックでノスタルジックを感じる風景に、リリカルかつペシミスティックな文章を書けば無敵なのだ。変な日記と写真をアップロードし続けた。はてなよりは長続きしたが、しかし限界はすぐに訪れた。
一つは文才のなさ。僕は詩を書くのが大の苦手だし、自殺どころか、リストカットも試したことがない。そんな人間が書く"リリカルかつペシミスティックな文章"はどう読んでも偽物だったし、風景の写真もネタ切れになってきた。明らかに向いていない仕事だった。もう一つの理由は、己をさらけ出しすぎたこと。日記を書くということは、自分自身の内面を文章にすることだと思っているが、それをネットに公開することは、端的に言えば公開処刑だろう。自らの文章や音楽を他人に見せることは、野外で全裸になるようなものだと思っている。今でもこの問題に、自分自身で折り合いをつけられない。例えば、自作した曲を公開したくても、上記の理由で公開するのに心理的な抵抗があるのだ。
閑話休題。結局、Tumblrはやめた。明らかに文章を公開するのに向いていないデザインだったし、なにより日本語ユーザーが少なすぎた。英語やドイツ語でブログを書くほどの能力はないのだし、もうそこを離れる以外の選択肢はなかった。写真の公開には向いているサイトだから、また利用していきたい。洋物の画像探しにも向いているし

第二次はてな時代(現在)
結局、またはてなブログで書くことにした。世の中の有名日本語ブログの中で、ここが一番マシだろうと判断した。ただ、不満はある。まずは公告が表示されることだ。Tumblrでは公告を非表示にできた。ここでは有料だ。どうせ公告を表示しないといけないのなら、管理人が自分の好きな公告を選べればいいのだけれど...といつも思っている。もう一つはレイアウトの問題。他のブログに比べれば圧倒的に読みやすいのだけれど、気に食わないところはいくつかある。ただ、そこを修正するためにはそれなりの知識が要るはずなので、手を出していない。
書いた日記の全てを公開することはやめた。今も日記は書いているが、オフラインで保存している。オフライン日記では、まず簡潔に今日の出来事と感じたことを書き連ねたあと、それ以上に書きたいことがあれば、長文を書く。出来の良い文章ができれば、その一部をブログに乗せる。そういうスタイルでやっていけば、少なくとも"全裸"ではないので、ダメージは少ない。
飽き性だからいつまでこの習慣が続くのかはわからないが、文章の練習と感情の整理も兼ねて、こんな風に書き続けていきたい。

My Bloody Valentine風、シューゲイザーの作り方

各楽器の音作りについて書いていく
*冗談が多いので注意


ギター

シューゲイザーの肝であるギターサウンド。ケヴィン・シールズ並とまではいかなくても、エフェクターを数十個足元に並べられるほどの財力を持ち、かつエフェクターをイジるのが好きな機材オタクの方は読まなくてもいい。
急なバンドの方針転換でシューゲイザーをやることになったが、今までアンプ直しか経験がない、エフェクターを揃える予算もない、というパンクかハードロック出身の頭の悪そうな人にはおすすめのエフェクターがある。小さいのにマルチエフェクター、ZoomのMultiStompシリーズだ。銀色(MS-50G)と水色(MS-70CDR)のバージョンがあるが、歪み系エフェクトが搭載されている上に、アップデートで空間系も使えるようになった銀色の方をおすすめする。
エフェクトの設定だが、適当なディストーションかビックマフの後ろに繋いで、コーラス、リバースディレイ、リバーブの順でかけると"あの"サウンドが再現できる(リバースディレイは原音をカットするとそれらしくなる)。お好みでフェイザートレモロ、もう一つ二つディレイやリバーブを加えてもいい。
奏法上の特徴としては、トレモロバーでの和音ビブラートが挙げられる。ストロークをしながらバーをグワングワンすることで幻想的なサウンドが得られるのだ。チューニングはズレるが、轟音ライブでは演奏者含めて誰も気にしない。ギターはジャズマスターを使うべきだが、ストラトタイプでも代用はできるので頑張ってほしい。トレモロのないギターしか持っていない場合、シューゲイザーをやるには厳しいので、さっさと売って中古のジャズマスターを買うべきだ。ちなみにメタル系ギターの場合、トレモロは付いているがバンドで絶対に浮くのでやめたほうがいい。集団のサブカルクソ野郎の中に一匹のメタラーが迷い込んだ様子を想像してみろ。
言い忘れていたが、ギタープレイヤーは多ければ多いほうが音の厚みが出て良い。下手でもいいから、ボーカルにギターを持たせてみよう。

ボーカル

マイブラは、男女のボーカルの重なりが特に美しいバンドだ。したがって、大体のシューゲイザーバンドは、男女ツインボーカルである。君が歌えるとして、異性のボーカルを連れてくる必要があるということだ(人によっては、一番ハードルが高いかもしれない)。音程がある程度正確にとれることと、高音が歌えればOKだ。声量とか滑舌は気にしなくてよい。それが味として評価されるからだ。

ベース

居ても居なくてもよい

ドラム

ベースよりは存在感があるが、打ち込みでも可。したがって同上

キーボード

シューゲイザーなサウンドには欠かせないが、わざわざメンバーとして入れる必要があるかは微妙だ。理想はギタリストのどちらかが弾くことである。この楽器に頼りすぎると、アンビエントとかニューエイジとか言われて馬鹿にされるので注意。


以上だ。上記を実践すれば、誰でもMy Bloody Valentineである。同じシューゲイザーという枠の中でも、RideやSlowdiveなど、My Bloody Valentineと音の質感が異なるバンドは多いので、音作りを研究してみたい。

なぜ焼肉を食べたか

昨日から、焼肉が食べたいと思っていた。それはひらめきに近いもので、それはある時突然に降りてきた考えだった。しかし、今思えばそれは随分と理論的に生み出されたひらめきなのかもしれなかった。自らの歩む道を正当化するために、運命論や直感を持ち出して判断の補強に使う。そんなことをする前に、すでに結論は出ているということを僕は知っている。全くもって無駄だし、少なくとも僕自身にはそぐわないやり方である。だが、常に思考と論理が先行する自分のような人間にとって、そのような運命論や直感で物事を決められるような人間にはとにかく憧れてしまうものだ。自らの内面から迸る力が自我を打ち倒して行動を生み出す。フロイトの言葉を借りるのならば、エス超自我より強い人間のタイプか。そういう人を現代社会の中で見つけることは中々難しいのだが、小説や戯曲の作中には頻繁に登場する。それも主役やそれに準ずる重要なキャラクターとして。結局は英雄になりたいだけなのだ。僕は自身をせいぜい"参謀"どまりだと認識しているし、そんな役職に憧れるように自分自身を矯正し、そんな型にはまった様に振る舞い続けていた。ただ、主人公に憧れる脇役とは悲惨なもので、道化に徹すれば徹するほど、悲惨になっていくものだし、かといって主人公の座を奪おうと努力しても、結末は悲劇である。そして、そんな人間は己の限界を認めることができずに、ある意味、主役よりも努力家であったりもする。だけれども、決して主役にはなれない。それは決まっている運命だ。
前述したことはすべて架空のお話の中だけに通用する。このルールを現実世界に当てはめるのはとても大変だ。何故ならば、大体の人間は主役の面と脇役の面の二面性を持っているからである。当然、それは視点や時期によってコロコロと移り変わるものだ。小説では多くの場合が視点と時期を固定して表現される。それに対して人生とは途方もなく長く、そして密度のある物語であり、複雑な人間が複雑な視点を持って鑑賞する。人生を小説や戯曲に擬えて表現することはナンセンスだ。だから僕が突然、焼肉を食べに行っても許される(そこに筋書きなんてないからだ)。
ただ、僕を含めた凡人が人生を大きなスケールで俯瞰して理解することなどできないから、結局は物語のかたちに単純化して捉えざるを得ない。それをすることで、自分自身の置かれている社会的な位置を理解することが楽になる。それは同時に、その固定概念に囚われることを意味するのだが......。そして人々は自らの置かれた位置について悩み続ける。

焼肉はとても美味しかったのだが、しかし脂身を身体が受け付けず、タンとかハラミといった脂身の少ない肉を食べた。途中から魚や野菜が食べたくなった。先程の直感は明後日の方向にずれていた。

少女終末旅行9話の感想

録画していた少女終末旅行9話を見た。原作は単行本の形式で読んだので、この話は飽くまでもその巻の中の一つの話、という感覚でさほど印象に残ってはいなかったのだが、しかし二十数分のまとまりのあるアニメとして見たとき、この話は作品上、大きな意味合いを持つ回なのだと感じた。チトとユーリが初めて会話できる機械と出会うことによって、生きているもの=コミュニケーションできるもの、の原則が崩れる。今までの回では、生きて動いている人間たちと機械や街(死んでいるもの)の関係は対比となっていて、その絶妙なコントラストは本作の魅力の一つだろう。例えば、偶然見つけた魚を二人が食べる話だが、あのときはまだ、二人は魚を生物として捉えてはおらず、食料として見ている。しかしそれが9話では覆され、ユーリは魚を自らと対等な生物として捉える。と同時に、建設用のロボットはユーリの手により破壊され、生きていることとは終わりがあることだ、というテーマが提示される。
前半部で、ユーリは水槽でためらいなく全裸になって泳ぐが、チトは「人が見ている」という理由で下着をつけたまま泳ぐ。この時点ではユーリは魚の飼育用ロボットを人だとは認識していない。これは推測だが、チトは本か何かで覚えた、通念的な価値観をロボットに適応しているのである。これはロボットを生物だと認識していることを意味せず、むしろ、それはロボットのくせに人間というレッテルを貼って扱っている。ここでのチトの認識は、飼育用ロボットは人間かもしれないが、生物ではないということなのだ。
そうしているうちに、建設用ロボットが魚のいる水槽の解体をはじめる。魚を守るためにユーリはロボットの破壊を決行するが、これは一つの倫理的な疑問を投げかけている。この前にロボットは生物の一部に入るかもしれないということが言及されているが、すると、ロボットに対する行為は殺害であり、生物への恣意的な格付けといえる。果たしてそれは許されるのだろうか。
すべてが終わった後、二人はロボットと魚に別れを告げ、旅を続けるが、最終的にはチトとユーリはロボットを生物だと考えたのか。僕自身は、彼女らはロボットにすら生命を見出したと思っている。おそらくこのことはその後の展開で明らかになるのだろうが、単行本の内容を忘れてしまったので、どう展開されるのか覚えていない。だが、この作品は先行きを想像するのが楽しいアニメなので、今ここで単行本を読み返すのはもったいない気がする。
この作品には哲学的なテーマが含まれているが、思想だけでゴリ押しする昨今の"意味ありげ"アニメとは一線を画している。単調な終末旅行の中が続く中で、さり気なく倫理についての重要な問いを投げかけていて、そういった面では明らかに成功作だ。視聴者に考える時間を与えるためにも、1クールではなく、もっと長い時間をかけて放映してほしいアニメだ。内容は薄くなるかもしれないが、それこそ10分くらいの尺にすれば持つだろう。できればNHKで、夕方の時間帯にやってほしかった。小学校高学年から中学生くらいが視聴すれば、とてもいい影響を与えるのではないかと思っている(僕がそのくらいの時期に視聴したかったというだけだが)。人間とは何か。社会とは何か。そんなテーマは創作作品の王道で、使い古されたものかもしれないが、それだけに色褪せることはない。

ジョイ・ディヴィジョンにハマった話

ある日、僕はクラフトワークのヨーロッパ特急に類似するアルバムを探していた。無人島に一枚しかアルバムを持っていけないのなら躊躇なくこいつを上げるくらいのマイフェイバリットであるアルバム。こんな感じのサウンドに飢えていた。とりあえず僕はAllMusicを試してみた。

Trans-Europe Express - Kraftwerk | Similar | AllMusic

タンジェリンドリームやブライアンイーノ...大体おすすめアルバムは予想通りだった。しかし見慣れないアルバムを発見。それこそがジョイディヴィジョンのUnknown Pleasuresだった。まずアルバムジャケットに惹かれた。黒いアルバムに外れは殆ど無いのでとりあえず聴いてみることにした。

正直、最初は魅力がわからなかった。しかし繰り返し聴くごとに、そのサウンドにクラフトワークのコンセプトと同一のものを感じるようになった。僕は溢れ出す孤独感に魅了された。Showroom Dummiesのような暗いパンク。これこそが僕の求めるものだった。後に書くつもりだが、僕は自殺願望を持っている。おそらく厄介なメンヘラである。イアンカーティスの歌声はそんな僕にぴったりだった。曇り空の下、このアルバムをイヤホンで聴きながら街を歩いたとき、僕の世界は変容したのだ。刹那な美しさのとりこになった。中学生の時の経験がフラッシュバックする。自室に篭ってクラフトワークを流していたときに感じた孤独感。ジョイディヴィジョンを聴いているとき、その時と同じ感覚を得られたのだ。

後にわかったことだが、ジョイディヴィジョンのメンバーたちもヨーロッパ特急を聴いていたそうである。なるほど、サウンドが共通しているのも無理はない。いつかこの二枚をヨーロッパの曇り空の下で聴いてみたい。そんなことを考えながら英語とドイツ語を勉強する日々である。

検索しづらいバンド、Bôa

今回紹介するのは、非常に検索しにくいロックバンドでおなじみ(?)、イングランドのロックバンド、Bôaです。Google先生は仕様によりサーカムフレックス(^←これです)付きの文字と大文字小文字は区別しません。そのため検索するとどうしても大韓民国のミュージシャンであるBoAの方に負けてしまう、なんとも不遇なバンドです。メジャーデビューはBôaの方が三年ほど早いのですがね。
BôaはドラマーのEd Hertenが中心に1993年に結成したバンドで、元はファンクをやっていました。しかし1994年にEd Hertenは脱退。代わりにLee Sullivanを迎え入れ、そのメンバーでメジャーデビューアルバムである「The Race of a Thousand Camels」を1998年に完成させます。フォークロックを基調としながらも、オルタナティブ、ファンクサウンドを取り入れた傑作です。

Bôa - Duvet
https://youtu.be/T0N5YblvT1c

この曲は彼らの唯一と言っていい代表曲で、日本のアニメである「serial experiments lain」のオープニング曲に使用されました。このため、日本国内国外でBôaはアニソンバンドのイメージが定着することになり、オタコンで演奏も披露したそうです。
それにしても、おしゃれで、アコースティックで、どこか憂鬱げなこの音世界。素晴らしいの一言に尽きます。The CranberriesとかBjorkあたりを連想させますが、本質はまったく違いますね。どこか古っぽいものが根底にあります(それはLed Zeppelinだったり、あるいは70年代のファンクロックだったりするのでしょう)。
ちなみに、Lee SullivanはRenaissanceのドラマー、Terence Sullivanの息子で、また、ボーカルのJasmine Rodgers、Steve RodgersはともにPaul Rodgersの子供です。二世バンドな訳ですね。

Bòa - Elephant
https://youtu.be/JUNbRqt77y4

同じく「The Race of a Thousand Camels」に収録されたこちらも隠れた名曲です。フォークロック感が強く出ていて、初期のJohn Mayerに近いところがあると感じます。1997年から2002年にかけての洋楽はこういうサウンドが多いですよね。

Bôa - Anna maria
https://youtu.be/HVyNBAz0NnI

またこの曲なんかは、プログレッシブフォークと言っても良いサウンドが展開されていますね。イスパニアを感じる…。Al Di Meolaとか好きな方は気に入るかもしれません。「The Race of a Thousand Camels」は本当にいいアルバムですがCDの入手は難しく、iTunesでも扱っていません。だけど聴きたい!というそんなあなたは、こちらの「Twilight」というアルバムがおすすめ。2001年に     PioneerからリリースされたBôaのスタジオアルバムですが、実質「The Race of a Thousand Camels」の曲順を変更した再編集版です。

https://www.amazon.co.jp/dp/B003YYONIY

この「Twilight」と「The Race of a Thousand Camels」を同じアルバムとすると、Bôaは解散までに二枚のアルバムを発表したことになります。一つは前述のアルバム、もうひとつは2005年に発表した最終作の「Get There」です。こちらはファンク色は鳴りを潜め、00年代プログレの空気が濃いです。前作から四年の時を経たBôaの集大成的作品なので聴いてみましょう。

Bôa - Angry
https://youtu.be/WHVzk74BKbo

この激しく華やかなサウンド!テンションが上がりますね。それでいてBôaの魅力は衰えていません。ボーカルのJasmine Rodgersの要素が大きいのでしょうね。現代風なサウンド(といっても2005年なので若干古臭くはありますが)を取り入れ、更にパワーアップしています。この手のサウンドは、MUSEとかFoo FightersRed Hot Chili Peppers辺りのバンドに影響を受けていますね。

Bôa - Daylight
https://youtu.be/aBrc1iXgfpc

この曲はザ・Bôaって感じの曲ですね。おそらくDuvetのようなイメージで仕上げたのでしょう。異国情緒あふれるギタープレイが展開され、そこに民族ぽいボーカルが乗っかる名曲です。残念ながらDuvetのようにヒットはしなかったようです。

その後、Bôaは2006年に活動を休止。残ったメンバーはそれぞれの活動を開始します。その中でもJasmine RodgersはCDを二枚発売しています。完全にフォークなので、バンドサウンドを期待すると拍子抜けしますが。
参考までに、彼女のホームページです。Bôaのボーカルとしての活動中に、彼女はNew Kingdom、PJ HarveyFugaziダンスミュージック、Nusrat Fateh Ali Khanを聴いていたようです。
http://jasminerodgers.com/about-2/

Jasmine Rodgers - Two Years
https://youtu.be/lnYzhavWEDc

いかがでしたか。この記事を書くにあたって、Bôaの数少ない作品を聴き直してみましたが、やはりこのバンドにしか出せないサウンドだなあ、と改めて実感しました。やっぱりBôaはサイコーです。

80年代で最も売れたプログレ、ポリス

この記事タイトルを見て、あなたは何を連想しましたか?「ポリスって、スティングのバンド? 」、「同名のプログレバンド?」みたいなことを思われたのではないでしょうか。今回取り上げるのは『スティングのバンド』の方です。あの伝説的ロックバンドのThe Policeです。「まーたプログレ認定厨か」という声も聞こえますが、決してプログレ板の伝統的ジョークではなく、真面目な話ですよ。
※僕は「ビートルズプログレ(の一面も持つ)」と認識している人なので、そのあたりご了承ください。

さて、最初に聴いてほしいのはポリス最大のヒット作、「Synchronicity」収録の名曲「Every Breath You Take」ではなく、同じアルバムに収録されている「Mother」です。

 

The Police - Mother
https://www.youtube.com/watch?v=2A9RvEzCYoc

いかがでしたか。気持ち悪くて、おどろおどろしい雰囲気を放った曲ではないでしょうか。ちなみに、歌詞の内容は「母さんから電話の着信が止まらない。僕とデートする女の子はみんな母親になってしまう」とかいうとてもメンヘラ意味深なもの。若干エヴァンゲリオンを感じましたが、それはStingが心理学を題材にしてこの歌詞を作ったからでしょう。アルバムのタイトルであるSynchronicityだって、ユング心理学の用語であり、翻訳されて「共時性」と言われています。このテーマの分析はまた機会があるときにでも。

一応、Every Breath You Takeも聴いてみてください。最高のポップソングですが、歌詞はストーカーの心情を歌っているという解釈も可能で、Stingの闇を感じますね。

 

The Police - Every Breath You Take
https://www.youtube.com/watch?v=OMOGaugKpzs

歌詞はともかく、「Mother」はPoliceの中でもかなり風変わりな曲なことは確かです。この美しい曲の流れをぶち壊すサウンドを作った大戦犯は誰なのか。それはStingではなく、ギタリストのAndy Summersでした。

 

The Police - Omega Man
https://www.youtube.com/watch?v=uYk2UiwWeBI

もう、最高ですね。「Mother」を書いた人だとは思えません。コーラスをかけてテンションコードをかき鳴らすのは反則です。Husker DuとかDinosaur Jr.などを聴くと、直接的なり間接的なり、Policeから影響を受けたんだなー、と思ってしまいます(今挙げた二つのバンドはチラ聴き程度なので的外れなことを言ったかもしれません)。しかしどことなく怪しい感じが漂ってます。Soft Machineのギタリストを努めていたこともありましたから、やはり単純なロックギタリストではなかったのです。Police在籍中にはあのKing CrimsonのRobert Frippとコラボしたアルバムを発売しています。しかも二枚。

 

Andy Summers & Robert Fripp - I Advance Masked
https://www.youtube.com/watch?v=AOiuh2Upa8s

完全に80年代プログレのサウンドです。ミニマル・ミュージック的リズムと独特のリバーブがかかったサウンド、Brian Enoに影響を受けたと思われるアンビエント風な音世界。こんなギタリストをバンドに迎え入れようと思ったStingは色々と流石です。(ちなみに、Policeには結成時のギタリストでヘンリー・パドゥバーニという人がいたのですが、その人がバンドを脱退してスリーピース体制となったようです)結果的にAndy SummersのテクニカルなギターはPoliceの大きな武器となり、バンドは大成功を収めました。

プログレ系のメンバーがいるバンドは、全体が徐々にプログレ化する傾向があります。Policeでは、Stewart Copelandが正にプログレ系でした。

 

Curved Air - Desiree
https://www.youtube.com/watch?v=wBoNof3DUWo

活動を再開したイングランドプログレバンド、Curved Airで、Stewart Copelandは新メンバーとして参加。二年ほどドラムを叩いていました(後にCurved Airのボーカル、Sonja Kristinaと結婚。三人の息子を設けるも現在は離婚している)。若干、Policeのサウンドと共通する点があると思うのは僕だけでしょうか? プログレバンドのドラマーには珍しくもなんともないことですが、彼は作曲ができ、Police解散後は映画音楽のサントラなんかも手掛けたようです。

 

The Police - Contact
https://www.youtube.com/watch?v=Ex-09RPA2hM

Magmaなど、アヴァンギャルド系のプログレを彷彿とさせるサウンドですね。パンク色の強かった初期にも関わらず、気持ち悪いサウンドが鳴っています。ドラムプレイとしては、軽快なスネアドラムサウンドや、リムショットハイハット、シンバルを多用してのリズムの刻みに魅力がありますね。正直言って、ドラマーではないので間違ったこと言ってるかもしれないんですが……。このスタイルは「Regatta de Blanc」で特に顕著です。この人が欠けたらPoliceサウンドはなかった……。という以前のお話で、そもそもPoliceはStewart CopelandStingに声をかけて生まれたバンドなのでした。

結局、2/3のメンバーがプログレ畑、Stingもジャズ畑。なのに、ここまでクオリティの高いポップロックを作り上げられた。だから、と言い換えるべきでしょうか。
初期のストレートなパンクも十分カッコイイのですが、やはりメンバーの本領が発揮されたのは後期の二作品でしょう。「Ghost in the Machine」はテクノポップニューウェーブの端緒を開いた作品で、シンセサイザーの導入など意欲的な試みがされた作品でもありました。しかし、今回の記事のテーマは「プログレバンドであるPolice」に焦点を当てることです。ならば聴くべきなのは「Synchronicity」一択です。ビートルズに匹敵する音楽的クオリティ、それに付随してあるべき商業的成功。この作品が生まれたことは、三人の内、誰が欠けても成し得なかったでしょう。
「Synchronicity」は80年代最高のポップアルバムとしても聴けますが、あまりにも多種多様なそのサウンドは正にプログレッシブ。同様にPoliceもまた、80年代トップクラスのプログレバンドだったのです。